英語日記を続けた結果、本当に効果はあったのか

英語日記を続けた結果、本当に効果はあったのか 私の英語習得ストーリー

「英語力を伸ばすには英語日記がいい」。これ、聞いたことがある人は多いと思います。私もそう思って、しばらく続けていた時期がありました。

結論を先に言ってしまいます。私の場合、正直、効果は感じませんでした。

これまでの記事では、洋楽の完コピやチャットなど、「やってよかった」という話を中心に書いてきました。でも今回は逆です。やってみたけど、ピンとこなかった話です。なぜ効果を感じなかったのか、そこには理由があったと思っています。

なぜ英語日記を始めたのか

きっかけは単純で、英語を使う環境を自分から作ろうと思ったからです。

英語から離れて1回目に英語力ががくっと落ちたとき、なんとかしないとという焦りが少なからずありました。主婦をしながら、また外国人の友だちをインターネット上で作ろうかとも考えましたが、その時はなかなかご縁がなく、やり取りを続けられる、相性のいい人を見つけることができませんでした。そうなると、英語を使う機会は全くなくなってしまう、だけど英語力を回復/維持させたいと思いました。せめて毎日英語に触れる時間を自分で作ってしまおう。そう考えて始めたのが英語日記でした。

内容は特に難しいことは考えていません。内容は、「朝からこんなことがあった」「子供がこんなことを言ってかわいかった」「もっと英語を話したい!」など、その日にあったことや感じたことを書いていました。日本語でつける日記と同じような感じです。それを英語で書く。それだけです。

続けてみて感じた、「あれ、これでいいのかな」という違和感

最初のうちは、書くこと自体に新鮮さがありました。新しいことを始めるときはわくわくするので、そういう高揚感もありました。英語が使える!という喜びです。2週間弱やっていたのですが、続けていくうちに、だんだんと違和感が大きくなっていきました。

文法が正しいかどうか、誰にもわからない

書いている文章が、本当に正しい英語なのかどうか、自分では判断できません。間違っているかもしれない、と思いながら書く。でも、間違っていても誰も指摘してくれません。他の記事でも書いていますが、必ずしも正確な文法を使いこなさなければいけないわけではありません。究極、伝わればいいんですから。とはいうものの、相手がいると、あまりにも不自然な表現や、こういう風に言ったほうが自然だよということを助言してくれたりします。相手から積極的な助言がなくても、他にいい表現がないかなと自分から確認することもできます。

一人でやることの、静かな限界

これまでの記事で書いてきたチャットの話では、相手がいました。意味がきちんと通じない場合は「どういうこと?」と質問が返ってくる、伝わればちゃんと伝わったと分かる反応がある。洋楽の完コピも、映画の繰り返し視聴も、元の音源や字幕という「正解」が常にそこにありました。洋楽や映画は、生身のコミュニケーション相手がそこにいるわけではありませんが、自分が目指すべき形がそこにしっかりあったわけです。

英語日記には、それがありません。書いて、終わる。それだけです。悪い言い方をしてしまえば、英語で日記を書いたんだぞいう自己満足で終わってしまうということです。正しいかどうかの答え合わせをする相手も、仕組みも、どこにもありませんでした。

一人でノートに書いている手元

英語日記が「効果を感じなかった」と思う理由

ここまで書いたことを改めて整理すると、振り返って思うのは、私が今まで効果を感じてきた方法には必ず「フィードバックをくれる何か」もしくは「明らかな正解」があったということです。

チャットの相手、洋楽の元の歌声、映画の字幕。間違っていれば気づける仕組みが、どの方法にも組み込まれていました。

英語日記には、その仕組みが欠けていました。書いた英語が合っているのか間違っているのか、わからないまま積み重ねていく。これでは、間違った表現をそのまま覚えてしまうリスクすらあったと思います。このやり方、合ってる?と、頭の中で疑問が急激に膨らみはじめました。

じゃあ、英語日記は無意味なのか

ここまで読むと「英語日記はやらない方がいい」と思うかもしれませんが、そうとも言い切れません。

書く習慣そのものは、悪いものではなかったと思います。インプットよりもアウトプットの方が大切だという話もよく耳にすると思います。普段英語を使う習慣が皆無の人にとっては、英語日記を書くという行為は、正しいやり方をすれば素晴らしいアウトプットの機会になります。私のやり方では「書くこと」が目的になってしまい、「正しく伝わる英語を身につける」という本来の目的とズレてしまっていました。

もし今、英語日記をやっている人がいるなら、書いたものを誰かに見てもらう仕組みをセットで持っているかどうかを、一度確認してみてほしいです。オンライン添削サービスというものもありますので、検索してみてください。ここに貼ると宣伝みたいに見えてしまうので、敢えて貼ることはしませんが、ちょっと調べただけでも何件もヒットすると思います。そういうフィードバックがあるかないかで、同じ「英語日記」でも効果は大きく変わると思います。

今ならこうする、英語日記をやるなら

ノートの内容をオンラインで誰かと共有している様子

今振り返って思うのは、英語日記を完全にやめるのではなく、フィードバックをもらえる相手とセットでやればよかった、ということです。

例えば、書いた日記をオンラインの友達に送って読んでもらう。SNSに投稿して、ネイティブの人に反応をもらう。さきほど触れた添削サービスを利用する。誰かの目に触れる前提で書くだけで、当時感じていた「これでいいのかわからない」という違和感は、かなり減らせたと思います。

私は極度の面倒くさがり屋なので、そういうひと手間を追加することが面倒だと感じる気持ちはだれよりも分かります。でも、せっかく時間を割いて、前向きに取り組んでいる英語日記を書くという行動が、きちんと成果として返ってくるようにしてもらいたい。そうして、少しでも自信をつけてほしい。そう思います。

まとめ:効果はあったのか、なかったのか

私個人の結論としては、当時のやり方では効果を感じられませんでした。理由は、書く習慣はあっても、答え合わせをする仕組みがなかったからです。

これは英語日記という方法自体が悪いという話ではなく、私のやり方に、これまで効果を感じてきた他の方法と同じ「フィードバックの仕組み」が欠けていた、という話です。私のやり方が悪かったということですね。

なので、結論として、英語日記は「やり方次第では効果がある」。

何かを続けるときは、続けること自体よりも、その続けた結果を確認できる仕組みがあるかどうかを大事にしてみてください。

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